2015年10月29日木曜日

他者否定をしてしまうアルコール依存症者の子どもたちの切実




ネガティブな体験によって、人間関係の仕方をがネガティブなものになってしまうのは仕方がありません。

大人になってからならネガティブな体験を回避できたかも知れないし、自分の責任ではないと解釈の幅も広く取れるでしょう。なにより助けを求めたり相談することもできます。

しかし、幼い子どもにそれはできるでしょうか?子どもにとって親は生きる生命線なのです。
自分がなんとかしようと頑張って、どうにも出来ず無力感を感じて傷つきだけならまだしも、どうにも出来なかったことに恥ずかしさを一生外れない自分を縛る鎖のように感じてしまうのです。

このような子どもが社会に巣立ち、何かを求めても、自分の手に入るとは思えなく感じても無理ありません。

アルコール依存症者の子どもたちの切実な問題はこの先で起こります。欲しいものを手に入れるには、その対極にあるものを手に入れてしまう可能性があります。

例えば資格獲得のプロセスには、努力がありその先の対極に失敗があります。
サッカーでも、ラグビーでも、野球でも、柔道でも、同じで勝利の美酒の対極には悔し涙があります。白と黒という対極を結ぶ「努力」という一本の線があります。求める物の逆の物を手にする可能性があります。しかしその可能性を拒んでいたら、欲しいものは手に入りません。

しかし、自分の手に入るとは思えなく感じると、最初から努力を十分にしません。しない方が自分に対する言い訳ができるからです。「努力していたら勝てたはずだが、勝ったところで大したことがないので、本気になれず努力しなかった」というふうに、言い訳できます。

しかしこれで終わればまだマシな方で、自分を守るために、さらに決定的な理由をつけます。たかがこんなことに一生懸命になってるあいつらはバカだ。他に能力がないから、こんなことに夢中になれるんだ」というように軽蔑します。

好きな女性にアプローチしなければ、交際することはできません。しかし断れる可能性もあります。断られる恥ずかしさを恐れて、アプローチしないと、女性から自分にアプローチしてくれない限り、他の男性の彼女になる確率は100%になります。そこで「彼女も男を見る目がない」と好きなはずの女性を蔑視します。

常に「見せかけの自己肯定、他者否定(実際は自他否定)」が人間関係の仕方になります。これでは幸福な人間関係を築くことはできなくなります。

しかも実際には「いい人のときも悪い人のときもある自分」なのに、自分を受け入れてもらうために、いつも「自分はいい人」を世間に見せなければならないので、ストレスが高まります。いくら「自分はいい人」を演出しても、頭隠して尻尾隠せずになるので、自他否定の構えが出てしまい、思ったような結果は得られません。ますます「自分はいい人」を世間に見せようしますが、その努力が報われないので、やはり周囲の人を胸の中で蔑視します。

ストレスには良いストレスと悪いストレスがありますが、溜まるのは悪いストレスばかりです。
この宿命的な構造から抜け出すには。「絶対に手にしたくないものを積極的に受容してもいい」と開き直って自分を諦めるしかありません。そうすると求めるものが入りだします。

試合に負けたくないから出ないのではなく、負けることもある。仕方がないことと受け入れると勝つ可能性も出てきます。失恋してもいいから彼女にアプローチすると決めて行動すれば、彼女に愛される可能性も増えます。


そうすることで、体験から得たセルフイメージが変わって、人生のシナリオがポジティブなものに変わる可能性が出てきます。それを繰り返すことで、アルコール依存症者の子どもたちの切実な問題が変わります。

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