2017年2月17日金曜日

禁止令がアルコール依存症に追い込む



ヘミングウェーが愛飲したダイキリはラム酒をダブルにしライムの果汁の代わりにグレープフルーツ・ジュースを入れて砂糖を抜き、氷を加えてミキサーしたフローズンタイプのカクテル。ハバナでは「パパ・ヘミングウェイ」の名がついています。

アメリカを超えて世界中の人々のライフスタイルに影響を与えた文豪アーネスト・ヘミングウェー。そのシンプルでハードボイルドな文体の裏に隠れた死の影。

その影はどこから忍んできたのか、その悲劇を辿ってみます。


1928年12月6日。
アーネスト・ヘミングウェーの父。
クラレンス・エドモンズ・ヘミングウェーは闘病と生活苦の末、父親のリボルバーで命を絶ちます。

アーネストはショックを受け、母グレイス・ホールへの憎しみを強めたと言われています。

グレイス・ホールは裕福な家の出身で女の子を欲しがっていました。結局、長男であるアーネスト・ヘミングウェーに4歳まで女の子の格好をさせたといいます。
いまでいう「毒親」です・・・悲劇の連鎖はグレイス・ホールよってもたらされたといっても過言ではないと思いますが、彼女もまた被害者だった可能性が高いのです。


(6歳のアーネスト・ヘミングウェー)

文豪アーネスト・ヘミングウェーは1961年7月2日、アイダホ州ケッチャムの自宅で猟銃自殺しました。
生前、躁鬱病の治療でメイヨウ・クリニックに入院し、電気ショック療法を受けましたが、うつ状態から回復できず死に至ります。そういうとなんだかすんない収まってしまうようですが、現実はもっと複雑だったようです。

冒険家とも形容されるヘミングウェーの病気、怪我は分かっているだけでこんなにもあります。
マラリア、炭疽病、肺炎、赤痢、皮膚ガン、肝炎、貧血症、糖尿病、高血圧症、躁鬱病2回の飛行機事故、腎臓破裂、脾臓破裂、肝臓破裂、脊椎骨折、頭骨骨折

妹アーシュラ・ヘミングウェー(六人兄弟の三番目、アーネストは二番目)も1966年の8月30日、癌とうつ病を苦に、薬物の過剰摂取により自殺します。姉のマーセリンも自殺説があります。

弟のレスター・ヘミングウェーは、アーネストと同じく作家になり、『トランペットの音』など6冊の本を書きました。1961年に出した『ぼくの兄、アーネスト・ヘミングウェー』がベストセラーになりました。
その金でカリブ海に人口島をつくりニューアトランティスという独立国家をつくります。ニューアトランティスの大統領になりましたが、数年後、島はハリケーンによって崩壊。父クラレンスと同じく糖尿病に苦しみ、1982年に22口径の拳銃で自殺します。

1928年6月。2番目の妻ポーリン・ファイファー、帝王切開の末、次男パトリックが誕生。8月「武器よさらば」完成。

同年、1928年12月6日。
父クラレンス・エドモンズ・ヘミングウェーは闘病と生活苦の末、父親(祖父)のリボルバーで命を絶ちます。アーネストは特に青年期から両親と折り合いが悪かったのですが、父の自殺によってますます母グレイス・ホールを憎んでいたと言われています。銃を送ってきたのは母グレイス・ホールだったからです

ちなみに、父クラレンスの自殺後、1931年に2番目の妻ポーリン・ファイファーとの間に生まれた息子(三男)のグレゴリー・ヘミングウェーは医師でしたが終生、性別違和症候群に悩み、性転換手術を受け、その後は「グロリア」を名乗ったといいます。
男性として5回も結婚~離婚を繰り返し8人も子供を設けましたが、アルコール中毒に苦しみ、放浪を繰り返しました。
フロリダ州マイアミを裸で徘徊し公然わいせつなどの疑いで2001年9月末に逮捕され翌10月、拘置所の女子房内で獄死。69歳の病死でした。

ワシントンポストのインタビューで父ヘミングウィーへの憎しみをあからさまに語っていたといいます。
「愛情あふれ、威圧的で、善意のつもりの父親のもとでは子どもがダメになる」と父ヘミングウェーを嫌悪していました
グレゴリーはアンビバレントな言動についていけなかったことを言ったのだと思います。

それこそアーネスト・ヘミングウェーが父母から学んだことで、反抗期のヘミングウェーが何度も家出を繰り返して、イタリアへボランティアで戦線に参加したことからも読み取れます。

戦争への接近は、 戦争の実体を知らない若い世代に吹き込まれた理想主義という狂気 、すなわちドイツ皇帝を絞首刑にして、世界に平和をもたらすという目的がありました。ヘミングウェーにはこれ以上ないタイミングで訪れた死臭でした。そこで迫撃砲弾に よる全身227カ所に及ぶ 負傷を負い、手術の回数は10回を超えたと言われています。

そこで「武器よさらば」のモデルとなった看護師アグネスに出会い恋に陥ちますが、実らずアグネスと同じく7歳年上のエリザベス・ハドリー・リチャードソンと結婚。長男ジャックが生まれています。


2番目の妻と結婚することで改宗しているのも、父親への反逆だったように思います。その反抗は独立宣言であり、生きていくために精一杯のあがきだったような気がします。



(アーネストとグレゴリー


その後、ヘミングウェーは、マ-サ・ゲルホ-ンと3回目の結婚、二人の間に子どもはいません。
メアリ・ウェルシュと4度目の結婚、子どもなく、ヘミングウェーの最後を看取ります。

メアリは晩年、躁鬱病のヘミングウェーに苦労しますが、最後まで夫婦生活を送った我慢強い女性でした。


アーネストの孫娘、マ-ゴ・ヘミングウェーは、最初の妻、7歳年上のエリザベス・ハドリー・リチャードソンとの間に生まれたアーネストの長男ジャックの子ども(長女)であり、モデル、女優として活躍しました。

マ-ゴ・ヘミングウェーが1996年の7月1日、薬物の過剰摂取により自殺。ヘミングウェー家5人目の自殺者になりました。





マーゴ・ヘミングウェー(1954年2月16日生まれ)
姉 ジョーン・ヘミングウェー
妹 マリエル・ヘミングウェー(1961年11月22日 生=アーネスト死後)

三姉妹の末っ子であり、ウディ・アレン監督「マンハッタン」でアカデミー賞助演賞候補にもなったマリエル・ヘミングウェーは、ふたりの姉たちが父ジャック(ヘミングウェー長男)から性的虐待を受けていたことを告白しています。

姉のマーゴは、夫の勧めでモデルになるや、183cmの長身を活かし、『ヴォーグ』、『コスモポリタン』誌のカバー・ガールとして瞬く間にトップ・モデルに、さらに1976年には映画「リップスティック」で女優としても成功、しかし次第に「ヘミングウェーの孫」というブランドが重荷になり、思うようにならなくなり、雑誌「プレイボーイ」でヌードになり話題を集めました。


 (エロル・ウェトソンととの結婚式)

1975年エロル・ウェトソンと結婚。1978年離婚。
1979年にバーナード・フォシエと再婚するも1986年に二度目の離婚。

休暇中、スキー事故に遭遇、9ヶ月の静養中、アルコール依存症に陥ります。
1987年、マーゴ・ヘミングウェーは、アルコール依存症のリハビリ施設へ入所。マーゴはアルコール依存症の他に拒食症、双極性障害、失読症、てんかん、などの問題を抱えていました。どこか祖父アーネストを彷彿させます。

1996年7月1日。祖父アーネスト・ヘミングウェー自殺から丁度35年のその日。
マーゴ・ヘミングウェーは抗不安薬の過剰摂取で自殺。サンタモニカのアパート、自宅ベッドに横たわり、枕に脚をかけ、本を膝に置いた状態で発見されました。

祖父アーネスト・ヘミングウェーの墓の近くに埋葬され、マーゴの墓石には「解き放たれた自由な魂よ」と記されています。

生前、マーゴ・ヘミングウェーは『私たち一族には、遺伝子に自殺することが埋め込まれているみたい。・・・しかし私はそんなことにはならない』と語っていました。一族で5人目の自殺者になってしまいます。さらに2人が自殺という呪われた家族になったようです。

怪我、癌、うつ病、薬物の過剰摂取、そしてアルコール依存症。



アーネスト・ヘミングウェーは、父クラレンス・エドモンド・ヘミングウェーと母グレイス・ホ-ル・ヘミングウェーの間に第二子としてして生まれました。

女の子を欲しがっていた強い母親のもとで、4歳まで姉と同じ格好をさせられ女の双子に見えたといいます。

父クラレンスは禁酒禁煙で勤勉なプロテスタントでしたが、魚釣りや狩猟を好んだといいます。

おそらく従順な子どもの心が強い父と、無邪気な子どもの心が強い母、その裏返しに厳格な父親の心が強かったのではないかと両親の自我状態を想像します。


ある日には父親の大事にしていたものを母親が焼いてしまい、その残骸を父親が拾い集める姿を目撃しています。厳格な父親の心が強い母親と、従順な子どもの心が強い父親が目に浮かびますが、ヘミングウェーは父の姿に自分を重ねて落胆したと思います。

ヘミングウェーは10歳のときに父親から猟銃をプレゼントされ、よく魚釣りや狩猟に連れていってもらったようです。
一方で、幼児期のヘミングウェーが母親の愛情を十分に得ることができず、甘えられないまま怒りを内面に抱きながら成長していったことが読み取れます。

•男であってはいけない(生きてはいけない)
•愛し愛されてはいけない

ヘミングウェーには母親からの強い禁止令が働いていたと思います。

禁止令とは幼児が近親者から受ける「~するな」というメッセージで、財産家の娘であった母親の強すぎる姿を通して、人生を学んだと想像します。

ヘミングウェーは18歳でイタリアの戦線に赴きます。全身を負傷し赤十字病院に入院。そこでアグネスという7歳年上のアメリカ女性(看護師)と恋に陥ちます。二人は結婚を望みますが、アグネスはヘミングウェーを見切ります。この恋もアンビバレンスな恋です。

この恋を映画化したのが、「ラブ・アンド・ウォー」です。サンドラ・ブロックの抑えた演技が7歳年上のアグネスをみごとに表現しています。


•男であってはいけない(生きてはいけない)
•愛し愛されてはいけない

この鉄槌のようなメッセージが幼く繊細なヘミングウェーのみならず、ヘミングウェーの子から孫へ伝わり、自分を愛せず、怪我、性愛をきっかけに病気、薬物摂取、アルコール依存症、蟻地獄に追いやられ、みんなが苦しみ、自殺へと追いやられたのではないかと推測するのです。

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